この路は、「首都圏自然歩道」の内の高崎自然歩道で、高崎地域は、山名丘陵から城山団地を通過し、ファミリーパーク内を通って、観音様へ行き、更に大平台、鼻高へ通じている。
「石碑の路」は山名丘陵部分の路で、史跡や、(故)信沢克巳さんが建てた万葉歌碑などが29道々に置かれ、特に、訪れる人の魅力となっている。
現在のガイドマップの前に発行されたマップは、高崎地域全体の地図になっていましたが、ファミリーパークの工事中、自然歩道が分断されていたので、山名丘陵地区だけのガイドマップが発行されたものです。最近、ファミリーパーク内を通る形で、自然歩道がつながったので、全体の地図もあればいいなと思います。この道の担当は、高崎市の観光課です。
以前のガイドブックに「石碑の路」の由来が書かれていますので、転写します。
『信沢克巳さん、土建会社の社長さんである。信沢さんは当時、上代の人々が佐野山と読んだ今の山名丘陵の麓の、根小屋町に住んでいた。
信沢さんの趣味は、キジを飼育して山に放すことであった。狩猟とは関係なく、ただ放すだけだ。そのためしばしば自然歩道を歩いた。その頃の丘陵は、2ケ所でブルトーザーが唸り、無残に山はだが削られていた。
山名丘陵には、山ノ上の碑や金井沢の碑があり、万葉集に収録された上野国歌の幾首がはこの附近で唄われていた。ここは私たちの心の古里ともいえる、美しい緑の丘陵である。
信沢さんは、心の古里を大切に保存するため、万葉集の中の上野国歌の碑を立てることを思いついた。佐野山の路にである。山ノ上の碑も、金井沢の碑も千年以上もそこにある。歌碑の設置は、上代のロマンを伝え、石がそこにあるかぎり、人々はこの路を大切にするだろう。
信沢さんは石碑の路を作る。』
信沢さんが立てた石碑を「たかさき拓美の会」の大塚省吾さんがとった拓本などが、一冊の冊子にまとめられています。
倉賀野の大塚省吾さんが作ったものです。石碑とそこに書かれた文字の味わいに加え、拓本にすることで石の肌や奥行きが感じられ、すばらしいものです。これは、高崎市の文化財保護課で見せてもらえると思います。
大塚省吾さんも、拓本をとるために数えきれないくらい山名丘陵を訪れ、丘陵の自然を大切に思っておられます。
あるとき、会の方と拓本を取りに行き「カモシカ」に遭遇しました。とっさに写真におさめたそのカモシカの姿は、上毛新聞に掲載され話題となりました。10年くらい前の話です。
丘陵を大切に思う大塚さんに神様がカモシカに姿を変えて御礼に来たのではないかと思うエピソードです。