1995年
3月1日発行
No.49

               

     阪神大震災に寄せて

1月17日早朝、神戸淡路島を襲った激しい地震に、私達は時間の許すかぎりテレビの前に釘付けとなりました。燃えている市街地に何故空から消火活動を行わないかと疑問にもなっていました。マグニチュード7.2の直下型のために、安全と考えられていたコンクリート製の建物まで崩壊し、交通網は遮断され、救援活動も出来なかったのは誠に不思議というより仕方がありません。死者が5千人を越えるとは一日目の報道からは予想出来ませんでした。明治以降死者数からみると4番目に当る地震だったそうです。

危機を脱しようにも、建物の下敷になり、火災に命をうばわれた人や折角病院に運ばれながら、いつもの体制ならば助かった人が死に至ったり、さぞかし無念であったろうと考えられます。神戸の病院や診療所の壊滅がこれほどひどいものとは知りませんでした。医療関係者の皆様が悪条件の中で努力を続けられたことに対し、心より敬意を払いたいと思います。

時間が経つにつれて、被害金額が10兆円にも達するようになり、増税等、直接我々にも復興に対する影響が及んでくることと思われます。未だ前橋市の全人口に匹敵する避難民の皆様が悪条件の中を過ごされていることを考えれば、これも止むを得ないことかも知れません。

こんな地震が群馬県にあった場合、私達はどうしたら良いか、幸い、活断層はないそうですが、なんの備えもありません。地震のために現在ある種の薬が手に入りにくい状況もあります。薬の備蓄もしておかなければならないようですが、これには非常な予備の金がかかり、且つ備蓄には資産としての税金がかかる現状ではおいそれとはいかない事情もあります。

私の所は平屋で田の中にある状態ですから被害は少ないと思います。有事の時には状況に応じ、出来るだけ皆様のお役に立ちたいと存じます。

(院長)