1987年
12月1日発行
No.6

          「意識」について

人間の心はどこにあるのでしょうか最近ではどなたでも、脳にあるのではないかとすぐ結論が出ると思われます.我々医師が重体の患者さんを診療していて、先ず問題にするのは「意識」があるか、ないかということです。意識という言葉を深く考えてみますと、医師が用いる場合以外にとても広い意未を持って用いられています。

我々は日常的に「〜について意識している」(〜について気付いている、念頭においている)という用法を用いています.これは少し難しくいうと哲学的にはこの「意識」が目的語を持っている故、「他動詞的意識」と呼ばれています。

一方、うちのめされて意識を失った人が意識を恢復した時には、我々は、「意識がある」と言います.この時の用法は「自動詞的意識」ということになります。

意識を失った人が、徐々に自分を取り戻していく様子は大昔からよく観察されています。ここにおいて意識の程度が分類されました。例えば昏迷とか昏睡です。

しかしこれの高度な程度に目を向けると、洞察力、反省の強さ、思考の独創性、創造力において傑出している人を「高度の意識」を持っている人とすることも出来ます。内省的なことが出来ない精神障害者が、自分が病気である事を「意識」していないような場合もあります。

ところで知覚出来ない状態にある場合、意識がないと言えるでしょうか?例えば睡眠の時は何も感ぜず、他人からは死んだようにみえる状態です。しかし急速な(Rapid)、眼球(Eye)、運動(Movement)が生ずる睡眠(REM睡眠〉では、夢をみている時が多く、全く意識がないとは言えないのであります。

病気の人の意識の変化ばかりでなく、様々な意識の状態があり、人類にのみ見られる、心、精神の働きと共に、意識という現象は不思議なものであります.

(院長)