2002年
11月1日発行
No.95
吉田徳五郎(流史)さんを偲んで

●30年来のおつきあい
 9月18日、突然に警察より連絡がありました。通院中の病状のことをあれこれ質問されましたが、急死する病因は思い当たりませんでした。実は風呂の中で亡くなっており、朝、奥さんに発見されたそうです。
 風呂に入る直前まで特に変わった事はなかったそうです。熱い風呂に長時間つかる危険性は院内新聞でも指摘していたのですが、とても残念でした。

●寄せられた俳句は450句以上
 吉田さんとのお付き合いは奥さんが日赤病院で脳動脈瘤の手術をうけて以来、30年になりました。吉田さんは運悪く、32歳頃に骨髄炎となり前橋日赤病院に入院しました。長い闘病の末に、左下肢を切断する事になりました。この入院中、句作を始められました。
 初期は群大教授であった相葉有流先生の指導を受け、後に東京の“馬酔木”という会派に属し、句作に精進していました。その後は特にどの会派にも参加せず、独自の視点より句作を続けてきました。
 自宅には数多くの句が残されているそうです。一時、中年の女性の句作を指導もしていたそうです。奥さんの話では最近の句作は当院の新聞のみで薬袋に一生懸命書き込みをしていたそうです。当院の新聞発行が1982年2月に開始され、第5号より15年間、一度も休まず寄稿して戴きました。総句数は450句以上になると思います。今までのご苦労に心より御礼申し上げます。
 吉田さんの作品は、自然の景観、季節の変化を鋭く吉田さんの観点から描写する事が多い傾向でした。時々足の痛みや、不自由な身体の事をさりげなくつけ加えてある句もありました。

●義足でも健常人のように生きる
 下肢の断端痛は突然襲ってきます。断端部の大腿神経の末端が結節となり、これが神経痛を誘発するのです。重い義足をつけながら、健常人のようにあるき、自動車の運転も何不自由なく行ってきました。いつも奥さんをかばい、自らは身体障害者ではないようでした。院長や職員もよく気合を入れられていました。
 心より御冥福をお祈り申し上げます。
(院長)