腰痛  Lunbago            return紹介  returnhomepage.htm へのリンク


 聴診器と腰痛

 これは私の腰痛日誌です。
聴診器シリーズ return瀬田医院HP
脊椎管狭窄症
2000年6月24日(土)
診察中に右腰と下肢に言うに言われぬ重苦しさと倦怠感を感じ椅子に座っている
のもつらいつらくなり診察が出来なくなった。代診を長男の嫁さんにお願いして翌週
1週間診療を休むことが出来た。おかげで右下肢の重苦しさは取れたが右第一と第二
指にしびれは残った。山本先生受診し心臓血管センター整形外科有田先生へ紹
介される。
7月有田先生の診察受け。腰椎のCT、MRI検査受ける。
MRIの検査の時はつらかった。検査中は右足を伸ばした状態にして置かねばな
らない。この右足を伸ばしたままにしておくのが苦痛であった。あまりにつらくて
冷や汗が出た。こんなつらい検査は生まれて初めてだ。
検査結果は有田先生から
腰椎脊椎管狭窄症と診断された。
確かに丸いはずの脊椎管が(Canal)が三角形になっている。
治療法についてどんな説明を受けたか覚えていない。少なくとも手術をすすめら
れた記憶はない。またどんな治療が良いかも聞いた記憶がない。
その後右第1指と第2指に痺れは残ったが痛みはなくなった。歩行は可能であった
が何となくゴルフをやる気が無くなり止めてしまった。
友人の整形外科医からゴルフして大丈夫だからと何回か誘われたがどうしてもやる
気が出なかった。
家内に散歩をしようと言われたがこれもやる気がおきなかった。
2000年4月から導入した電子カルテDynamicsに興味がありこちらに力を入れたか
ったこともありとにかくゴルフは止めてしまった。

股関節症(特発性大腿骨頭壊死)の経過
2002年6月15日(日)
ES_Base説明DVDをVHSへダビングするためビデオデッキを3台自宅から診療所へ
運び設定した。笹沢氏に手伝ってもらった。ダビングしたVHSから映像は再生さ
れたが音声が出なかった。映像もモノクロに近かった。古いビデオデッキではだめな
ようなのでしょうがなく山田デンキでビデオデッキを購入した。これで録画したVHSは
映像がいまいち良くなかったがが一応見られるた。一般的なVHSのダビングなのだ
が映像が元のDVDのものよりかなり劣化していた。どうも何となく気に食わないの
で最新の東芝のHD内臓のDVDデッキを購入し運んだ。これでダビングしたVHSは
当然のこと元のDVDの画像とまったく同じだった。これを加藤先生に差し上げた。
後日良く見え分かり易いと喜んで戴けた。
 こんなこと即ちビデオデッキの中古を4台を自宅から診療所のPCのところまで運
んだこと、新しいビデオデッキ(余り重くなかった)を山田デンキで購入し運んだこ
と最後にDVDデッキ(少し重かった)をやはり山田デンキで購入し運んだことなど
をした後右腰部と下肢に異常な痛みを自覚した。

翌日、2002年6月16日山本先生受診した。はじめ腰椎XPでは所見は前回と変わ
りないと言われた。しかし痛みの様子が2年前と違うようだと言ったところ股関節の
XPを撮って戴いた。写真を見て大腿骨骨頭がくずれている所見あり「これは無罪放
免とはいかない」といわれた。
 群大整形外科白倉先生へ連絡を取ってくれた上、紹介状を書いてもらった。
この日松葉杖を1本借りた。森技師へ松葉杖を注文した。帰り道にそこでコルセッ
トを修理してもらった。この日の午後松葉杖が届けられた。これで今日から松葉杖生
活となった。

筋肉痙攣
手術前右患足に筋肉の痙攣いわゆるこむら返りを経験した。
特に股関節症を発症してから多いように思う。起こる筋肉は一定していない。
起こる時は急に何の前兆も無く起こる。
起こり始めるとで歩けなくなる。痙攣中はとにかく痛く重苦しい。
患足だから無理するはずはないしもちろん痛くて無理は出来ない。
痙攣の起こる筋肉は一定していない。一度起こると一般的にやられているように痙攣
した筋肉をを伸ばすように指先を引っ張るのだが普通のこむら返りと異なり逆効果の
こともある。大体1時間か1時間半くらいで消失する。私はこれを数回経験した。患
足のみでしかも手術後は今のところ一度も経験してない。

2002年7月4日(木)群大整形外科助教授の白倉先生受診した。
8月1日(木)に腰椎と股関節のCT、MRI検査受ける。
群大は腰椎と股関節のCT、MRIは別サイクルで組まれているが白倉先生の取り計
らいで1日1回で済ましてもらった。

8月8日(木)白倉先生に説明受ける。
診断は特発性大腿骨頭壊死 手術が必要だが急いでやることない。
落ち着くまで3ヶ月位待っても良いのではないか。
「命までは持っていかれない。」と白倉先生になぐさめられた。
享博が6月から出張した富岡総合病院の整形外科の小林先生は股関節が専門家である
という。股関節専門医は伊勢崎市民病院の長田先生、富岡の小林先生、群大の高柳先
生が御三家で小林先生は年齢的にその中間的存在で群大整形外科の股関節グループに
属すと聞いた。

病院の選定
 今当家には悠貴1歳、玲奈2才、博貴5歳の3人の孫がおり手が掛かる。その上母玲
子は勤務しており妻の昭子がベビーシッターとして面倒を見ている。
私が入院して玲子が診療に入れば孫の面倒はすべて昭子が見なければならない。
昭子は当然私のことなどにかかわってなどいられない。
群大病院が一番近いが群大病院では誰も面倒見られないが、富岡総合病院なら享博が
勤務しているから手のすいた時享博が面倒見ることが出来るので富岡の小林先生にみ
てもらうのが一番良いだろうということで小林先生宛てに紹介状を書いてもらった。

手術日の選定と変更
8月中旬頃小林先生受診した。
はじめ美穂子さんの結婚式を考えて式のすぐ後の11月はじめを予定してもらった。

股関節痛の経過
6月に始まった股関節痛には7月も8月も悩まされた。診察中は椅子に座っていると
きは痛みを感じない。眼底検査などで椅子から立つ時などや検査室まで歩く時に右足
を突くと痛い。
一番痛みが強くつらかったのは胃透視の時だった。検査時間は15〜20分だがプロテク
タを背負っての検査は拷問的であった。
当院では胃透視にはレントゲンテレビでなく暗室用を使っていた。
その理由はいろいろある。まず写真の出来は暗室用の方被写体にフィルムを密着でき
るので画像が良い。
患者さんのそばで腹部など触診しながら写真が撮れる。スキンシップになるので当然
コンタクトが取り易い。ただ時間が掛かるので例数をこなせない。
暗室用ではプロテクターを着なければならない。これは鉛ゴムで出来ていてとても重
い。これを着ると股関節の痛みが余計に強い。杖を使えば痛みは内輪になるが透視中
は使えない。これほどつらい仕事はなかった。終わるとほっとした。
この暗室用X線装置を10月にレントゲンテレビを導入した。設備の他に部屋の改造
、内装も換えなければならなかったので900万くらい掛かった。
X線テレビにしてから胃透視検査は座ったまま出来るので楽になった。

レントゲン検査の次に夜が恐怖であった。まず仰向け以外は痛くてなれない。
右足は屈曲して即ち膝を立ててやや外転した位置が痛みが少ない。この位置を保つた
め座布団や布団などで工夫した。これで少しは眠れたが寝込んだとたんに激痛で目が
覚めた。やはり足が動くのかその時股関節に痛みが生ずるようだ。それで足が倒れな
いようにざぶとんを膝の外側や内側にささえとしてかってみた。
これをしていても激痛が走る。ほんの5mm位のずれでも激痛になる。
あまりひどい時はベッドに直角にうつ伏せになって腹の下に座布団をかって股関節か
らしたの下肢をぶらぶら下げるのが一番苦痛を和らげる方法であった。しかしこの姿
勢は長続きできない。姿勢が不自然だからだ。
また初期の6月頃山本先生のご好意で下肢の牽引の器具をお借りして牽引したことが
ある。この方法は牽引バンドをつける膝につらさを感じその割りに股関節の痛みは軽
くならず山本先生には申し訳なかったが2〜3回で止めてしまった。
こんな痛みの状態が6月から始まり7月 8月 9月と続いた。疼痛のレベルは最初
から同じレベルで大きな変動はなかった。今日は痛みが軽く気分が良いよなどという
ことはなかった。その代わり痛みがどんどん激しくなるというものでもない。
寝込んで膝が少し動いたための股関節に激痛が走り目が覚めるのだ。おかげで1時間
以上いや30分以上熟睡したことがない。夜中、時間が経つのが遅く感じられた。時
計が打つ時刻はすべて覚えていた。
この痛みが始まった6月から私どもの寝室を同じ2階の一番奥の広い部屋にかえた。
またベットを今までのセミダブルから分離ベッドにした。
このように毎日毎夜痛みでさいなまされていると早く痛みから逃れたくなる。
美穂子さんの結婚式の後まで待つのは苦痛だ。結婚式へ出るより早く手術を受けとに
かくこの痛みから解放されたくなった。それで手術が早くならないかお願いした。
10月23日(水)に決まった。貯血の採血日も10月8日(火)15日 22日と決まっ
た。
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入院中の瀬田医院の診療スタッフ 聴診器シリーズ return瀬田医院HP
享博と玲子が次のよう決めた
月 玲子
火 玲子 午後 4:30より
水 享博
木 玲子 午後休診
金 午前 野川先生 午後玲子
土 享博 午後休診

予期せぬ手術日の延期
10月8日(火)第1回の貯血のため病院へ行く。採血400cc。採血後30分休
む。
10月15日(火)第2回の貯血のため病院へ行く。
採血後、看護婦さんから入院の説明あった。この時ワクチンについて聞かれた。手術
前にインフルエンザに罹らないように10月始めにインフルエンザワクチンを打った
と話したところ看護婦さんが顔色を変えてどこかへすっ飛んでいった。暫くして小林
先生に呼ばれた。
先生の説明。ワクチンを打つと1ヶ月免疫力が落ち感染の可能性が増すので原則とし
て麻酔しないというのが富岡総合病院の麻酔医の意見なので10月23日の手術は延
期せざるを得ないという説明であった。結局延期することにした。11月25日(月
)に決めた。

手術日が延期になって良かったこと。
11月3日の美穂子さんの結婚式と孫の博貴・玲奈の七五三の出席できたこと。
レントゲン装置の入れ替え、レントゲン室の改装を10月中に余裕を持って出来たこと。
また患者さんを何人か検査できたこと。

股関節痛の変化
11月は痛みがやや内輪になったようだ。

ネット情報の引用
T.アセスメントの視点
 変形性股関節症は、手術することにより、疼痛の改善と関節可動域の回復が可能と
なり、身体・精神面ともに高い満足感が得られる。そのため退院後は、家庭的・社会
的役割、活動も積極的となり、股関節への負担を大きくする可能性が出てくる。術後
2〜3週間目には、ほとんどが転院するため、退院後の生活に関して、イメージがし
にくく、後療法・家庭生活・社会復帰への不安も大きいことから、ライフスタイルを
把握した退院時指導が重要となる。又、日常生活の自立や、関節への影響、特に人工
関節置換術においては、合併症や耐用年数を踏まえてのさまざまな生活指導及び、転
院先での指導内容を考慮した継続看護が重要である。

公立富岡総合病院入院記 聴診器シリーズ return瀬田医院HP
11月23日(土)富岡総合病院整形外科入院
25日(月) 右全人工関節置換術当日
1:30PM病室から手術室へ向かう。
家族の「がんばって」の声に送られ手術室へ入る。
享博が側についていた。麻酔科医の田島先生に挨拶される。
「ひとつ ふたつ---- みっつまで数えたか覚えてない。
気がついたら「手術うまく言ったよ」の声が聞こえた。
昭子と佳子がいた。享博もいたかな。覚えてない。
術後の痛み止めに一般的には硬膜外麻酔をするのだが私の場合脊椎の変化がひどく椎
骨に隙間が無く出来ないといわれた。換わりにに塩モヒの持続皮下注となった。

病室に戻ってからのどが乾いた。享博が付き添ってくれた。水が飲みたかった。飲む
前ガスが出たように思った。許可が出たかのかまたは私が要求したためか水とお茶が
飲めた。かなり飲んだ。享博にたしなめられたような気もする。

術後第1日 26日(火) 
2:30AM頃から食欲なくなり水も飲みたくなくなった。ガス出ない。
お腹が痛くなってきた。また胃腸の動きが止まった。吐き気もない。吐き気もないの
は胃腸管がまったく動いていない証拠だ。
朝腹部単純XPを取った。その後外科の佐藤先生が診察に来てくれた。丁寧にお腹を
触診してくれた。「CT取りましょう」といわれた。CT室へ運ばれた。CT台へ移
される時始めて手術の傷の痛みを知った。CT台へ移動時傷のところを圧迫されたの
で思わず痛いという悲鳴をあげてしまった。それまで傷の痛みで悩まされなかったの
はお腹の痛みが強くて傷の痛みがマスキングされたのか塩モヒの持続皮下注が効いた
のかどちらかだろう。術前お腹が痛くなるとは予想しなかった。こういう時はろくな
こと考えしか浮かばない。

術後第2日 27日(水)
3:50AM ガス出るも少量。腹痛あり。相変わらず食欲は出ない。
お腹痛く何度も鎮痛剤ロピオンを打ってもらった。
ザンタックの点滴が朝夕追加になった。アミノ酸製剤も追加になった。
抗生剤は朝夕ありリンゲルもあり点滴の管だらけになった。
その上下にはどう尿のカテがあり、食べられないので余っていた自己血が
輸血された。点滴の管のジャングルに埋まったようだった。

術後第3日 28日(木)
8:00AM 外科佐藤先生診察にこられた。
「痛み取れないようだから胃内視鏡しましょう」と言われほっとした。
実は痛みがひどかったので何か胃腸に合併症が出たかと不安で内視鏡などの検査をお
願いしょうかなと考えていた。
8:30AMすぐ内視鏡室へ下ろされた。
9:00内視鏡開始。丹念に見ていただいた。
「何もありません。胃炎でしょう」と言われ安心した。

検査後ガスが沢山でた。夕食に全粥を食べられた。
寝たまま食べなければならないしまだベッドは30度挙上なので食べるのに悪戦苦闘
した。何せ仰向けのまま食べるのは一平面状の動作に近い。言い換えれば二次元の世
界だ。平面からずれたら見つからない。ブザで看護婦さんを呼んで助けてもらわなけ
ればならない。ベッド60度挙上になった時はかなり楽になった。しかしものを落と
したらさがせないし落とした場所が分かっていてもひろえない。こんな時マジックハ
ンド見たいなものがあれば便利かなと思った。

食事 排泄
これほど厄介なものはないというのが実感。術後食事が取れるようになってから
回数も量も増えた。そのたびに看護師を呼ばなければならない。

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11月30日(土)抗生剤の点滴中止
12月2日(月)術後第7日目 第2週目 股関節XP撮影
12月4日(木)常食
12月5日(金)術後第10日目
車椅子へ移る リハビリ開始第1日 指導:渡辺PT
はじめ車椅子に座るため左足で立ったときふらふら感があった。また背骨に痛みを感
じた 後で小林先生に背筋の痛みと言われた。
11月25日から12月5日まで11日間寝たきりだったので背筋が弱くなったかリ
ハ室のベッドへ車イスから移る時右術足をつかないように注意された。ベッドに腰掛
けてから仰向けに寝るとき背中が痛かった。
仰向けになった時患足が伸ばすと痛いので屈曲した状態だった。
伸ばすよう言われたのでやっと伸ばしたが真っすぐには出来なかった。
右術脚足首へ1Kg 健脚足首へ2Kgの重りつけ交互に約30度5秒間づつ挙上する。
左健脚を挙げる時、術脚大腿部が痛く曲げざるを得なかった。
渡辺PTは始めは術脚は曲げておいて良いと言った。
約15分間行った。
両足首へゴムバンドをひっかけ交互に外側へ5秒間ずつ開く。約15分間
その後平行台で患足をつかないようにして歩行練習 約15分間

12月9日(月) 術後第14日目 第3週目 股関節XP撮影
午後つげ先生来室した。脊椎管狭窄症について大学病院で撮った腰椎XPとMRIを見なが
ら説明してくれた。
L2とL3の間で脊髄への圧迫がみられる。症状はもっと下部脊髄の圧迫症状
股関節のリハビリが終わり歩行が可能となった時症状があれば脊髄造影したい。

13日(金)病室変更 術後第18日目
2階の整形外科病棟病室2A05から4階の内科病棟の特別病室4A18へ移る。

16日(月)術後第21日目 第4週目 股関節XP撮影
リハビリ室に小林先生来室
下肢挙上、下肢開きのあと患足を置くようにして力を入れないで歩行練習開始。

24日(火)術後第29日目 第5週目 股関節XP撮影 血液検査
患足1/3加重 約20Kg。松葉杖を借りる。
午後病棟で歩行練習する。
小林先生来室した 正月にハーベルハートで温泉に入ることは危険と言われた。
以前3週目に外泊し温泉に入り滑って転倒し脱臼した患者さんがいたという。脱臼す
ると激痛ある。麻酔してもどした。

12月26日(木)術後第31日目
CAG施行 sclerosisiあり 7番にアテロームの疑い。
明日からメバロチン バッファリン81を服用開始。
4階病棟から1階の外来にに下りて廊下で歩行練習する。 なるべく人の少ない所を
選ぶ。午前午後練習した。

12月30日(日)術後第35日目 第6週目
休日中にリハビリ室を開いてくれました。
1/2加重で片杖歩行を許可される。
1階の廊下を午前午後4周した。病室へ戻ると疲れを感じる。
ベットに横になると1時間くらい寝むれる。

2003年1月2日〜5日 外泊
2日〜3日 ハーベルハートへ泊まる 2日は昌彦の介添えで3日は享博の介添えで
温泉に入る。
1月4日(土)自宅へ戻る。8+31+1=40日ぶりの帰宅。
DynamicsとRE_Baseのヴァージョンアップ行う。
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2003年1月5日(日) 帰院 術後第41日目 
1月6日 2分の1加重 杖片方となる
6時過ぎ小林先生来室 来週15日(水)沢渡温泉病院へ転院予定とする

2003年1月7日(水)術後43日目 第7週目
股関節XP撮影。 

リハビリ室での訓練
ベッドに背臥位になる 右術足くるぶしに1.5Kg 健足に2.0Kgの錘をつける。
交互にひざを伸ばして30度挙げて5秒間止める。約15分間続ける。
大腿四頭筋、腸腰筋、大腿筋膜張筋、縫工筋
次にゴムバンドに両足首につけて脚を横に開き(外旋)5秒間止める。
股関節外転筋(中殿筋、大殿筋、大腿筋膜張筋)
午後及び休日の五前午後病室で上記の他に追加して行ったストレッチ
横向きに寝て脚を上げ、5秒間止める
大殿筋、背筋、大腿屈筋群
うつ伏せで脚を上げ、5秒間止める。
大腿屈筋群

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1月12日(日)
佳子直樹夫婦 来室
1月13日(月)成人の日で休日 術後第49日目 第8週目
11〜13日は3連休なので富岡を11日に退院して連休明けに沢渡へ行きたいとい
ったら反対された。
1月14日(火)最後のリハビリ室での訓練。PTの渡辺先生は休み。
14日午後1階の廊下を歩行練習中に柴山先生に行き会う。
お礼の挨拶をした。

1月15日(水)沢渡温泉病院転院のため退院。

沢渡温泉病院入院記 聴診器シリーズ return瀬田医院HP
1月15日(水)昭子11時頃富岡総合病院退院
12時頃自宅へつく。当院の職員に会う。急いで昼食とる。
また急ぎで何かの書類にサインさせられた。富岡入院中は赤木国際CCの会員権
の名義を享博に書き換えるサインをさせられた。昭子は私がもうゴルフは出来ない
ものと決めている。

入院1日目 病院へ2時頃つく。部屋へ行く途中病院内の案内と説明があった。例え
ば電話呼び出しの受け方など。部屋へ着くと整理する暇も無く看護室へ呼ばれ看護婦
さんに予診を取られる。窓の外を見ると雪が降ってきた。部屋の整理をしている昭子
に早く帰るようにはなしてくれるように頼んだ。
予診の後、清水院長の診察があった。
部屋へ帰ったのは4時頃か昭子はすで帰っていなかった。
今日は何もリハビリしなかった。

2日目16日(木)
朝 右足の靴下が始めてはけた。
9:40茂手木PT 身体計測受ける。脚の曲がる角度、筋力や長さ。約30分。
右足が1cm長い。その後下肢の他動的伸展運動を受けた。
この後リハ室で重りをつけて自主ストレッチした。
廊下で前医師会長家先先生に行き会った。
11時 入浴が一人で出来るかどうかの判定受ける。
判定は一人入浴可だった。明日から一人入浴出来る。
午後は何も予定がない。部屋にいてもしょうがないから2時頃リハビリ室へ出かけて
勝手にストレッチした。

3日目 17日(金)9:30リハ室へ出かけて自主ストレッチしていたら
茂手木PTが来た。リハらしいもの受けた。
下肢の膝を伸ばしての屈曲では膝の裏が痛くなった。
この後自転車の使い方の指導受けた。
階段の昇降の練習をした。
はじめは 0.5Kgで15分位。
11:30から股関節体操を見学した。股関節体操のビデオが1000円。
受けるには医師の処方が必要で来週になってしまうとのこと。
指導は鹿島PT。彼は享博とバドミントンをしたと話した。
また彼はプールでのリハの指導もしていると話した。
午後2:40からプールでのリハ受ける。指導鹿島PT。
約30分プール内で運動した。運動の後バタ足で泳いだ。これは良かった。やっとリ
ハビリを受けた感じがした。
プールのあとシャワーを浴びた。洗剤は持参。

4日目 18日(土)午前中はリハ室があけてある。
土午後と日曜はリハ室は閉まっている。リハビリ出来ない。
9:10自主リハ開始した。約1時間。1〜3時の間工事のため停電となった。
午後リハ室はあいていないので1階の廊下を2時から約1時間半歩いた。
歩いたあと入浴しょうとして看護師に聞いたところ停電でだめと言われた。3時に浴
室へ行く。誰もいなかった。

5日目 2月19日(日)
今日はリハビリも休み。富岡総合病院では下肢のストレッチ用の錘を貸し出ししてく
れたが沢渡病院は貸し出ししない。しょうがないので階段の上り下りの練習をした。
これは一昨日茂手木PTとちょっと練習した。その時休み中に練習しておいても良い
と言われた。
登りは健足の左から始めて交互にのぼる。患足の右で上がる時は杖か手すりを使う。
登りは出来た。下りは健足を降ろすとき患足に力が入った時足が震えた。また力が入
らない。
患足が下の段に着くとき杖が相対的に上がるので左腕が押し上げられる。
バランスを失いそうになる。
12時温泉に入る。昨日工事で停電の時入浴させなかったのは循環式だからだろう。
ここで循環式沸かし風呂に入るとは思わなかった。
2時半頃佳子・直樹夫婦が博貴を連れて見舞いに来た。
彼らは富岡病院以来ほぼ毎週来てくれている。うれしい。ありがたい。
下着5着。おかず(煮物、ブロッコリ)おせんべい2種。
ここの売店は種類が少なく高い。富岡の倍位か。
なにも売店で儲けなくてもよいのにと思う。

6日目 20日(月)  術後第56日目 第9週目 貴乃花引退
9:40 リハ室で訓練 指導茂手木PT
 ビニールの風船乗り運動 今日より歩行はF型杖を使用
11:20 股関節体操  指導:鹿島PT 体育館
2:40PM プールで訓練 指導:鹿島PT
 明日も訓練受けられるようにお願いする。
4時頃 入浴
5時頃 横山広典先生来室 FBS140 明日一日血糖検査予定
7:00PM 入浴 今日3回目

7日目 21日(火)術後58日目
6:00 一日血糖検査 採血 毎食前 毎食後の6回
9:40 リハビリ室 指導:茂手木PT
     入浴の模擬練習
11:20 股関節体操 鹿島PT
 開始前 荒木 稔先生に挨拶される(平成元年入局 平成10年より沢渡温泉病院
勤務)
 羽鳥設計 小林氏 お見舞い
 昨日から増築工事始まる 南のフェンスをはずす 既設建物の養生
     今井さん夫婦 横沢さん お見舞い
2:20PM プール内運動 指導:鹿島PT
4:00 清水先生の経過説明 リハビリテーション総合実施計画書
4:30 入浴 今日は1回 
6:30 自宅へ電話 昭子:「悠貴が嘔吐下痢発熱で点滴受けた、
玲奈も発熱。」

8日目 22日(水) 術後59日目 朝鮮南北閣僚級会談始まる
一昨日3回入浴したためか昨日だるかった それで昨日は1回にした
朝起床時の起立時右大転子が攣れるような突っ張るような感じが大分少なくなった。
また同時に大体内側広筋のつれる感じもやや少なくなった。脚を開いてこの筋肉を伸
展させると気持ちが良い。その後右脚が良く曲がる。
9:10 リハ室へ行く 既に殆どのリハベッドは埋まっていた。
9:45 茂手木PTが私の踵を肩に担いでの膝を伸展しての脚の屈曲は
 膝の裏がかなりつっぱる。終わったあと気持ち良い。
 新しい器械の指導 大腿四頭筋 大腿屈筋の訓練機
11:20 股関節体操 指導:鹿島PTへ股関節体操のビデオを注文
12:30 4階の公衆電話にはモジュラージャックある。
     ノートPCに繋いだがアクセス出来ない?
2:30PM プールリハビリ 3:20迄。その後バタ足3:30迄。
4:00 入浴へ行く途中患者さんを指導中の茂手木PTに会う。
先日注文した運動用のゴムバンド、TheraBandを業者が入荷した。
購入 ¥1,800ー
4:30 自宅へ電話 昭子「業者が電気の配線が分からず大変」

03/01/23 NHKTV 宮本武蔵 聴診器シリーズ return瀬田医院HP
五輪書 地 水 火 風 空 の構成
Book Of Five Rings
武士道 刻苦勉励 質実剛健 
江戸時代 明治維新 戦後の復興
欧米人が日本人を考える時 水戸部稲造と宮本武蔵を読む
兵法の道は人の道
独行道 よろずにえこの心なし 善悪に他をねたむ心なし 
54歳で志望 墓は熊本市郊外にある 甲冑を着けて埋葬された

9日目 23日(木)術後60日目 朝より雪
9:00 リハ室へ 
9:40 ストレッチ 指導:茂手木PT
 モンキーウオーキング(膝を曲げての歩行)と
左右一歩ずつ踏みしめるように歩く練習
これらは階段の昇降のために必要。
病棟の廊下の歩行練習と階段を降りる練習
11:20 股関節体操 
2:30 プール体操
4:00 入浴 1回目
7:30 自宅へ電話 昭子:「玲奈が嘔吐下痢症。雪が降っている」

10日目 24日(金)術後61日目 夕方雪
9:10 リハ室で自主リハ開始 大腿四頭筋とハムストリングスの訓練
9:40 茂手木PTのリハ開始 リハ中受持ち患者さんがリハ中意識が
  無くなり中止。5:00PMから継続
11:20 股関節体操 ビデオを購入。¥1000−
2:30 プール体操
4:00 入浴 1回目
5:00 茂手木PTのリハを継続
7:00 入浴 2回目
7:30 自宅へ電話 昭子「明日来て宮田や泊まりたい。話したいことある。」
8:00 看護婦さんへ明日の外泊をお願いした。
    宮田屋へ電話してくれたが本日は受け付け終了 明日7時から。
    Tel 0279−66−2231

11日目 25日(土)術後62日目
7:00 雪が降っている
7:20 自宅へ電話するも応答なし
7:30 太陽が見えてきた 雪は止むだろう
  宮田屋へ宿泊申し込み
9:00 リハ室で自主訓練。 
11:00 ビデオで股関節体操。
2:00PM メールへ接続
4:30 昭子来る
5:00 宮田屋へ行く

12日目 26日(日)術後63日目 
11:30 宮田屋をチェックアウト。
    隣の食堂へはいる そばとミニカツどん。
1:00PM 病院へ帰る
2:00 昭子帰る

13日目 27日(月)術後63日目 10週目 雪後雨
6:30 起床
9:00 リハ室へ
 クアドリセップスで四頭筋とハムストリンングスの訓練
 膝を屈曲させて歩く練習
9:40 茂手木PTのリハビリ
 下肢の膝を伸展した位置での屈曲はきびしい
 モンキーウオーク 
 階段の昇降練習
11:20 股関節体操
2:30 プール体操
 おわった後バタ足の練習 3:30終了 診療所へ連絡取るようにとことずて
3:50 診療所へ電話 笹沢氏が応援に来てくれていた。

14日目 28日(火)術後64日目 晴れ後雪
6:10 起床
9:00 リハ室で自主訓練 クワドリセップス モンキーウオーク
  茂手木PTのリハ訓練 階段の昇降
11:20 股関節体操
2:30 プール体操
3:40 診療所へ電話 職員の小林さん:最適化をクライアントでしたようだ
 RealSyncが更新中止で止まる。ネットワークから他のPCをさがすことがが出来ない。
4:00 入浴
4:30 エレベータで見舞いに来てくれた丸橋さんに出会った。
 
15日目 29日(水)術後65日目 晴れ
8:55 リハ室 自主トレ クワドリセップス モンキーウオーク
 茂手木PTリハ 階段昇降 起立練習
10:30 回診 真塩先生 
 左股関節に変化あり 筋力トレーニングは両側行うこと
 退院後は生活のリズムにとり入れる 
 外出時には杖を使うこと 
11:20 股関節体操
2:30 プール体操
3:30 入浴
 留守中にフクダMEの君嶋氏と菊田氏がお見舞いに来た。

16日目 30日(木)術後66日目 晴れ
6:00 起床
9:00 リハ室 自主訓練 クワドリセップスチェア
9:40 茂手木PT リハビリ
11:20 股関節体操
2:30 プール水中体操
3:30 林事務長が留守中に来室
3:50 折りたたみ杖購入 ¥3150

17日目 31日(金)術後67日目 晴れ 入院最後の日
6:00 起床
9:00 リハ室 自主訓練 クワドリセップスチェア
9:40 茂手木PT 身体計測 リハビリ
11:20 股関節体操
12:30 運転免許証のコピーをFaxで病院の事務にお願いして送る
1:30 事務長室へ行き林事務長に挨拶した。
2:30 プール水中体操
3:50 入浴
循環式温泉でレジオネラ感染症の発生が多いとテレビで報道していた。

18日目 2月1日(土)術後68日目 退院日
4:00 退院

自宅療養
1日目 2月2日(日)術後69日目

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2日目 2月3日(月)術後70日目 11週目

2月8日 術後75日目 ハーベルハートで一泊

9日目 2月10日(月)術後77日目 12週目

16日目 2月17日(月)術後84日目 13週目

23日目 2月24日(月)術後91日目 14週目

30日目 3月3日(月)術後98日目 15週目

37日目 3月10日(月)術後105日目 16週目

44日目 3月17日(月)術後112日目 17週目

51日目 3月24日(月)術後119日目 18週目

日目 月 日()術後日目 週目