カッパピア情報へ  
   
  「カッパピアの歴史と思い出を未来につなげよう」 資料作成:西野仁美                                                         (平成19年度作成)

                                                        
1)カッパピアの前身は『新日本高崎こども博覧会』

 高崎市史によると、「昭和27年に日本が独立を回復し、その年に国鉄高崎線が電化開通した。それを記念して子どもに夢を与え、あわせて観音山一帯を公園化して、観光高崎を全国にアピールしようと、一大イベント『新日本高崎こども博覧会』が開催された。」
  「50日の会期中に約50万人が入場して大成功をおさめた」という


 イベントは各種パビリオンや動物園、乗り物などがあり、特に、象の高子さんは人気者だった。「象に乗せてもらった」となつかしく思い出を語る方も多い。


  このイベントの記念に建てられた分部順治作の「こどもの像」は、おサルの電車の所に今も立っている。
2)カッパピアの思い出

  県内の総合レジャー施設の先駆けで県民の憩いの場として、人気の場所であった。

  育成会の春の写生大会会場として
  剣道の練習会会場として
  全国の桜が植えられている桜の名所として、花見に
  結婚式を挙げたカップル。記念植樹の木が園内に植えられた。
  詩「わたしのおかあさん」表彰式と記念のパネルが張られた像
  若い二人のデートの場所として
3)カッパピアの今
  
 フェアリーランド社の破産(平成16年2月)に伴って、管理者のいない無法地帯となり、周辺住民の不安が広がっていた。
  破産したフェアリーランド社の負債の担保として土地と建物などを持っていた金融機関から、市が買い取って、自然公園にすることになった。(平成19年)
 
  この場所は高崎市の高崎観音山公園という都市公園内にあり、カッパピアは、県の特許事業として今で言う「第3セクター方式」で運営されていたもの。

  跡地利用の計画を立てるために、現在、調査が行われているが、一部の施設の撤去作業は7月から開始し、 今年度中に撤去作業を完了する予定。
 
4)カッパピア跡地について

  「観音山丘陵の自然展」来場者に行ったアンケートでは、自然を生かした市民が憩える場にと言う声が多い。
  また、「自然や環境について学んだり体験したりする場所にしてほしい」という意見もある。
  さらに「施設などは全部撤去するのではなく、使えるものは使ってはどうか」という意見も多く聞かれる。
5)都市緑化フェアー

  平成20年に開催される都市緑化フェアーについて、「サテライト会場として、カッパピアを市民参加でよみがえらせるイベントをやってはどうか」と考える人も多い。
 中心会場の「作って壊す予算」をもう少し有効に生かせないものか。