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第2回観音山丘陵ネット会議〔平成19年4月24日〕
    「山の麓に住んでいるものとして」   H.Sさんのお話    
                                 ビデオからの書き取り
 根小屋に住んでいるSと申します。
 家は農業です。私は会社勤めをしておりますが、今は両親も年老いて、家内が農業をしております。
 ずっと、先祖代々、山の麓で農業をしております。いろいろ難しいことは分かりませんが、どんな形で山に関ってきたかということを、お話したいと思います。

 祖父の時代のことを、(私が)小さい頃聞いた話しとして、
 「山にはササグマがいる」「ササグマという小さい熊がいて、家の近くにいた」ということでした。
 それと、沢があります。
 「沢にはウナギがいる」「だいぶウナギを獲った」ということでした。
 私は『是非、ササグマを見てみたい』と思いましたが、見ることは出来ませんでした。沢のウナギも獲れませんでした。

 それから父の代になりますと、よく山へ行って、椎茸を生産するので、原木を切り出しました。それで(私も)一緒に言って、手伝って、木を切ったりしました。木の倒し方、どのように倒すかとか、枝の打ち方、ナタやハサミの使い方を教わりました。暇を見つけては、シノダケで笛を作ったりもしました。

 私は成人してから、ほとんど山に行くことはありません。私の子供もゲームに夢中で全然山へ遊びに行きません。
 自分は、子供の時は山に行って遊ぶことがすべてで、近所の子と一緒に、よく山へ行って、肥後の守(小刀ですね)があれば、木を斬ったり、竹を斬ったりして、いろいろ遊んでいました。また、山のツツジの葉を食べたり、野草を食べたり、いろいろしておりました。
 山があるお陰で、親との触れ合いが出来たと思います。今の子は、あんまり、そのような機会がないと思います。それで、山は家から50メートル先、100メートル先に、ずっと昔から在りますが、子供たちには、山はずっと離れたものになってしまっているように思います。

 木を切ったり片付けたりは大変な作業です。
 遠くから見ていますと、春には芽が出て、夏には緑いっぱいに生い茂ります。秋には山の幸があります。アケビの実、山栗、山の柿の実、そういったものが子供のときは採るのが楽しみでした。
 山に関っているということは、今の子には機会が少なくなりましたが、家族や親との触れ合いができたかなという気がします。
 それと、刃物を持って枝を打ったりすると、怪我もします。はじかれた枝で顔を叩かれたりもします。とても、重いです。マムシもいます。ムカデもいます。うっかり山肌に手を載せると危険な場合もあります。
 いろんな思いをして今に至っています。
 是非、(山を)歩くのもいいですが、いろいろ作業をされるのも、また、それぞれの立場から、お感じになることもあろうかと思います。

 沢には、蟹や山のドジョウがいます。そういったものも少なくなりました。
 いろいろな植物があったりして、これからもずっと残っていればよいなと思っています。
 私も山肌に一部(山林を)所有していますが、ほとんど手を入れていません。暇がないのと、人を頼んで下草刈りをする費用を掛ける値打ちというか「掛けても、それだけ。それまで」「掛けなくても、それだけ。それまで」結局、荒れ放題の現状になっております。これから機会があれば手入れをしようとは思っているのですが、なかなか出来ない現状です。
 じゃあ価値を産ませるのは何かというと、道路を作って整備して、なにか施設を作って、ということになるんでしょうが、そうではなくて、何か、自然に近いまま残して、なんらかの価値が出てきたらいいのではないかと思います。

 最近、休みの日に、訳のわからない車が山の中へ入って、出てきます。中は見えませんがワゴン車のようなもので、たぶん、植物を採って持ち去っているのではないかと思うのですが、そういうのを非常に心配しております。
 また、電化製品の廃物なども、沢の奥に捨ててあったりして、非常に気になっているところでございます。
 また、昔は、亜炭(質の悪い石炭)が出まして、何もない頃に燃料用に代用されたようです。そういった黒々とした山が在りましたけれども、うず高く積まれている所がありましたが、今は草や土に覆われてほとんど分からなくなっています。
 そういう状況です。
 取り留めのない話ですが、山の麓に住んでいるものとして、紹介させていただきました。